アニメ・漫画

アニメ「フルーツバスケット」の「絆」から学ぶ、価値観を天秤にかけることの重要性

どうも、ashです。
最近せんたく便というサービスを知って
早速使ってみたashです。
それについてはまた違う記事で紹介しますね。

今日はですね、
僕がハマっている「フルーツバスケット」という
アニメを観て思ったことを書いていきます。

知らない方に簡単に説明しておくと、
元々は「はなと夢コミックス」出版の少女漫画です。
作者は高屋奈月さんで、1998年から連載しているようです。

2001年に一度アニメ化していたのですが、
2019年に再度リメイク版かつ続編という形でアニメ化されていて、
2021年4月にFinalシーズンの放送が開始しました。

あらすじとしては
ある1人の優しすぎる主人公(透)と、
草摩一族(異性に抱きつかれると
それぞれ決まった十二支の生き物に
変身してしまうという重大な秘密を持つ一族)との
関わり・すれ違い・成長を描くストーリーとなっています。

単純なラブストーリーというよりは、
各人が持っている様々な苦悩と
苦悩に立ち向かう様子が描かれています。
その過程で繰り広げられるドラマは
人の温かみに溢れています。

アニメを観てここまで泣いたのは初めてというくらい、
泣かせてくれました。(年で涙腺緩くなったのかな笑)

そんなフルーツバスケットという作品の中では
「絆」や「呪い」というキーワードが出てきます。

こういったキーワードを用いるあたりも、
ただの恋愛系の少女漫画にはない、
複雑さが垣間見えます。

「絆」=「情」=「呪い」?

「絆」と聞いて皆さんは何を連想するでしょうか?
友達や仲間との絆、親子の絆、最愛の人との絆、etc…
おそらく多くの人がポジティブなイメージとして
捉えていると思います。

しかし、この作品中での「絆」というものは
ネガティブなイメージで描かれています。

草摩家の一部の人間は、
12支の動物になってしまう秘密を持っているわけですが、
彼らはある一人の人間に仕える存在です。

12支の頂点に立つ存在、
それが作中で神様として描かれる慊人の立ち位置です。
彼ら12支と神様は普通の人にはわからない、
「絆」というもので繋がっています。

しかし残念ながらこの「絆」、
作中では慊人が12支の人間を縛り付ける紐として
描かれています。

そして彼らはそれを時に、
「呪い」とすら呼んでいます。

人間はこの世に生まれたら、基本独りです。
最初から100%自分のことをわかってくれる存在もいなければ
無条件にずっと一緒にいてくれるような存在も
なかなか得ることはできません。

そしてそこに人は孤独感を感じ、
寂しさを感じるわけです。
その分、そういう人に出会えた時、
とても嬉しいですよね。

ですが、彼ら草摩一族は
生まれた時から無条件に繋がっている感覚、
一人ではない感覚を持って生まれてきました。

それと同時に、
周りの人間とは違う生き物として
見られてもきました。
それゆえに尚更、「絆」というものに
特別な感情を持っています。

そうして幼い頃から大事にして
自分の中に培ってきた「絆」ですが、
大人になるにつれてだんだんと窮屈になってきます。

親がよく自分の価値観を子供に押し付けて
子供が大人になるにつれてそれに反発するのと
似ていると思います。

彼らも慊人の考えに反発しながらも
完全にはノーとは言えず、
時には自分が間違っているんじゃないかとさえ
考えています。
それと同時に「絆」を失うことを恐れてもいます。

言うなればこれは僕らにとって「所属感」に
該当すると思います。
多くの人は社会への所属感を失う事を恐れます。
それを失えば自分が自分ではないような、
自分には価値がないような感覚に
陥ってしまうからです。

多くの人が会社を辞める選択ができるにも関わらず、
居続けている要因の一つではないでしょうか?

客観的に考えれば
ただ辞めただけで自分に価値がなくなるなんて、
そんなはずはないことはわかりますが、
幼い頃から培ってきた価値観を変えることは
容易ではありません。

色んな思い出を共有した恋人と別れるのと同じように、
心に大きな穴がポッカリ開いた状態になるわけですね。

ですが、自分を縛る古い価値観を打ち破らなければ
新しい自分の可能性は開けていきません
自分が次のステージに行くためには
古い価値観という自分の殻を破る必要があるんです。

人間、長い間慣れ親しんできたものに対しては
誰でも情が湧いてしまうものです。
しかし、その情が時に自分を縛り付けてしまうこともあります。
情に後ろ髪を惹かれて、人に望まれた自分を演じ、
いつしか理想の自分を追う事を諦めてしまう
そんな経験が僕にもありました。

それがフルーツバスケット内で”呪い”と
呼ばれていることの正体ではないかと思います。
”絆”や”情”は美しい言葉かもしれませんが、
それを欲するがために、
望まれる自分になろうとしたり、
相手に望む姿にしようとするのは
むしろ”呪い”と呼ぶのではないでしょうか?

このアニメは、
そんなメッセージを伝えている物語だと思います。
最終的に彼らは”呪い”を断ち切り、
勇気ある一歩を踏み出しました。

なので皆さんも自分が何かの呪いにかかっていないか
考えてみるのもいいかもしれません。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

p.s.
僕は昔から慣れ親しんできた”じゃがりこ”の呪いが
あったんですが、最近呪いから解放されました。笑

 

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