こんばんは、
どうも、ashです。
PHYCO-PASSというアニメを観ていて、
あるセリフが印象に残ったので、書きます。
ちなみにPHYCO-PASSについてですが、
舞台は
人間のあらゆる心理状態や性格傾向の計測を可能とし、
それを数値化する機能を持つ「シビュラシステム」が導入された西暦2112年の日本。
人々はこの値を通称「PSYCHO-PASS(サイコパス)」と呼び習わし、有害なストレスから解放された「理想的な人生」を送るため、その数値を指標として生きていた。
中でも、犯罪に関しての数値は「犯罪係数」として計測され、たとえ罪を犯していない者でも、規定値を超えれば「潜在犯」として裁かれていた。
そんな監視社会でも発生する犯罪を抑圧するために厚生省の内部部局の一つである警察組織「公安局」に属する刑事は、シビュラシステムが組み込まれた特殊拳銃「ドミネーター」を用いて、治安維持活動を行っていた 。
そのような時代背景で働く公安局刑事課と犯罪者との戦いや葛藤を描く。
という作品です。
SFでありながら、将来的にもあり得そうな、
というかむしろ既に部分的にはありそうなお話だと思います。
その作品中に登場する、
槙島聖護という天才的な知能を持つ敵は
かなりの読書家でカリスマ性を持った魅力的なキャラです。
その槙島が本の引用や考え方について語る、
こんな場面が出てきます。
~以下抜粋~
槙島:
本はね、ただ文字を読むんじゃない。
自分の感覚を調整するためのツールでもある。チェ・グソン:調整?
槙島:
調子の悪い時に本の内容が頭に入ってこないことがある。そういう時は、何が読書の邪魔をしているか考える。
調子が悪い時でもスラスラと内容が入ってくる本もある。
何故そうなのか考える
精神的な調律?チューニングみたいなものかな。調律する際大事なのは、
紙に指で触れている感覚や、
本をペラペラめくった時、
瞬間的に脳の神経を刺激するものだ。
読書について「調律」と言っているんですよね。
この感覚、面白いと思いました。
今まで私は読書は何か知識を得るもの、
知らない考え方を知るものとして考えていました。
ですが、この台詞から感じ取れるのは
自分自身に目を向けることなんですよね。
調律について調べてみると、
「調律」…楽器の音高を、演奏に先立って適切な状態に調整すること。
ここでいう楽器が自分のことで、
音高というのが精神といったところでしょうか。
瞑想にも似たところがあるかと思います。
今まで本を読んでいても、正直、この視点はなかった。
読書をする中で知識を得ようと思うことはあっても、
読書が自分の「調律」に使えるというのは
納得と同時に衝撃でした。
それを「調律」という言葉で表しているのが秀逸ですよね。
槙島のこのセリフの後で、
相棒のチェは「あなたと話していると僕の今までの人生、
損をしていた気になる」というようなことを言っていますが、
自分もまさしくそう思ってしまいました。笑
この視点で読書したことはなかったからです。
本と向き合っているようでいて、実は自分とも向き合っている。
今までの読書でもそれを意識できていたらと思うと。。
まぁでも今からの読書を変えていけばいいですかね。
新しい気持ちで本が読めると考えるとそれはそれでわくわくしますし。
今週は久しぶりに紙の本を読もうかな。
それではまた。